みなさん、あけましておめでとうございます。
日記を更新するのも久しぶり。。。最近はネタもないし、書いてもコメントもないし、寂しい思いをしとりました。
実際年末年始はあることでバタバタしてました。
これから書く日記は内容としては重いものだけど、ここ数日起きたこれから生涯忘れられない体験を書いておこうと思う。
それは12/30日の1本の電話から始まった。
年末のバラエティー番組を見ていた。時間は0時30分頃。
こんな時間にかかってくるのはいい内容じゃない、と直感した。
母親がその電話をとった。
おかん「もしもし」
祖母「みっちゃんか?じいちゃんが、じいちゃんが死んじゃう」
おかん「は!?なにいっとるだん!?は?病院?わかったすぐに行くから!!!」
私「なに??なにがあったん?」
おかん「じいはが心臓の発作で倒れたみたいで今から病院へ行く」
私「うそ!?まさか!?」
急いで着替えて私とおかんは病院へ向かった。
病院まで家からは車で5分。
おかん「前から心臓が悪かったけど、前に検査入院したばかりなのに・・・たぶん昨日から急に寒くなったから・・・」
病院に着いた時救急の出口には1台の救急車が停まっていてとなりに親戚のおじさんが見えた。
ちょうど救急車と同じになったのだ。
車から運び出されたじいはすでに呼吸器がはめられて顔が真っ赤になっていて呼吸が苦しそうだった。
すぐに診察室に運ばれて私たちは部屋の外で待った。
ばあさんが言うには
「今日一日気持ちが悪いといっとって、ご飯食べてお風呂に入った後に
気持ち悪いと言うからこたつで寝たらと言った。ちょっと寝てその後2階に寝にいったら胸が苦しいと言って起きてきた。そのときに息子を呼んでくれといったので息子を呼んで救急車に電話したてたら2階からおりてきて、その場に倒れた」
きっとあったかい場所から急につめたい場所へ行ったせいかもしれない。でもその日1日気分が悪かったんだ。
看護婦に部屋に呼ばれた。
若い女の先生が淡々と言った。
「急性心筋梗塞ですね。非常に危険な状態で自発呼吸は出来ない状態です。呼吸が一度止まっているので一時的に脳に酸素がいかなくなっているのでもし助かっても脳死の可能性が高いです。このまま何もしないと亡くなりますが、延命措置をしますか?」
私たちは顔を見合わせて考えた。
このまま延命措置をしても助かる可能性はないかもしれない。
助かっても脳死かもしれない・・・・
「できるかぎりのことをしよう」
おじさんが言った。
私たちはうなづいた。
「延命措置をしてください」
「わかりました。では一旦部屋の外でお待ちください」
待っている間泣けてきた。
つい1週間前の23日クリスマス会をかねてばあさんと二人で家に食事に来たのに。元気に話していたのに・・・
助かってほしい・・・まだ4月の結婚式があるのに・・・
あまりにも突然すぎる。
措置が終って、でてきたじいは相変わらず苦しそうだった。
集中治療室に移されて人工呼吸器をつけたじいはなんだか別人のように見えた。
私「助からないのかな」
おかん「わからんけど、みんなで祈ったら助かるかもしれない」
夜中になっても私とおかんやばあ、おじさんはそこにいた。
しばらくして兄も駆けつけた。
もしかしたら意識が戻るかもしれない。
神様なんとかじいを助けてください。
そればかりを願った。
じいとばあは八百屋をやっていて83歳。家から近かったので
小さいころからよく遊びに行っていて、いつ行ってもひょうきんで笑顔で暖かかった。
私はそんなじいが好きだった。
ぼんやりとそのころのことを考えながら長い夜がふけていった。